オリエンタルシンキング②

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西成労働福祉センター

<氣>は嘘をつかない

 前回、私事の<氣>体験を紹介させていただいたが、<氣>の探究の旅に出る前に、しつこいかもしれないが、もう少し私の<氣>の体験を、いくつか紹介していただきたい。
 私は小さい頃から、どうも<氣>に当てられやすい性質で、あまりにも強い<氣>を受けると、その圧で体に変調を来してしまうようなところがある。特に強烈な強い<氣>を発散している人の前では委縮して何もできなくなってしまうことがあり、改善しなければと思いながら、どうにも60歳の現在でもダメなのである。
 「それはお前の性格の問題なんじゃない」とい声が聞こえてきそうだが。「性格」なら意識して努力さへすれば変えられだろうが、<氣>の入れ替えは、どうすればいいのだろうか…。
 何とも「トホホ」なのだが、<氣>は嘘をつかず、自分より弱い<氣>を持っている人にはそんなことはぜんぜんないのであるから不思議である(嫌なヤツである)。
 また、多くの人がいるパーティーや5人以上の飲み会等に参加し、その後一人になると、酔ってもないのに少し分裂気味なり、翌朝体に変調を来すことが多々ある。困ったものである。
 そんな<氣>に弱い私は、31歳の時に会社を辞め、自ら経営者として出版社を始めたが、案の定当初は借金も膨らんできて、経営者としての辛酸を舐めながら苦しい数年間を耐え続けながらも、ゴマカシゴマカシ息を繋いできた。ところが創業8年目を迎えた時に、ひょんなきっかけで、多くの人間の協力のもと40万部というベストセラーの本を出すことができたのだが、その本が企画され本が出るまで、それぞれの働いている人間の<氣>の湧出が半端ではなかったことを記憶している。多くの人間に行き渡るための魅力的なモノを作るのには、これだけの<氣>の力が凝縮されなければならないのかと思うと、売れるモノを作ることの大変さを身に沁みて実感したのもこの時であった。
 しかし、これがプラスの<氣>の体験だとすると、その反動なのか、その後私は驚くべきマイナスの<氣>の体験をして、最後には17年間続けてきた会社を廃業する破目に陥ってしまった。人間万事塞翁が馬とはこのことを言うのだろう。
 末期には、そのマイナスの<氣>が火災を誘引し、消防車が駆けつけるというお粗末な結果を導き、働いていた同志の女性デザイナーはアル中になり会社廃業後4年で死を迎え、私はというと、毎日のように積み重なる闇金の利子返済で、あらゆる関係筋に金策に回るという体たらく。気が付くと、会社は重いマイナスの<氣>で、いくら窓を開け、風通しを良くしても沈み込む空気は変わらない。あげく、誰もがそのマイナスの<氣>を察するのだろう、会社に訪れる人も少なくなってくるという最悪のスパイラルを迎えことになる。マイナスの<氣>というものは恐ろしいもので、よほどのドラスティクな転換をしなければ消滅しないのである。それしかあの<氣>から逃げる手立てはなかったのではと、現在でもそう思っている。
 だが、くれぐれも<氣>がそれを起こしたのではなく、そういう<氣>を発散させてしまった原因を作ったのは私だということであるということはご承知願いたい。
 プラスもマイナスの<氣>も起こすのは<氣>自体ではなく、そこには何らかの作用が働いて起こっているということである(全て<氣>のせいにしてはいけない)。
 最後に重いどんよりしたマイナスの<氣>で思い出すのが、母方の叔父(弟)が死を迎えた時である。この叔父は山形の高校を卒業すると東京に働きに出たが、40歳の時、放蕩でたまった借金を退職金で返済するために会社を辞め、その後は、テキヤをやったりして安定せず、当たり前だが妻もいず、50歳の時にはアル中でヨレヨレ、あげくに道路で眠ってしまい、警察にご厄介になり、唯一の頼りの私の母がよく警察から呼び出しをくらっていた。もうアル中の末期であるダメ叔父さんは、私の実家に入り浸っていたが、朝から酒を飲み、ションベンはたれながし、あげくに幻覚を視ては叫ぶ始末だった。父はやはり、そこは兄といっても義理である、見かねて情を捨て、絶縁だと言い彼を追い出してしまった。
 その後、彼は何度か道端で倒れ、最後は共産党系の病院に運ばれたのが幸い、住居、生活保障をしてもらい、2年間ぐらいは生き延びたのだが、最後は真冬にどこかで酒を飲み、帰途に横浜駅周辺の道路の生垣で寝てしまい、そのまま帰らぬ人となってしまった。
 遺体は住所不明の安置所に引き取られ、遺品から警察がこちらの連絡先をつきとめ、幸い無縁仏にならず、私と母で遺体を引き取りにいくことができた。唖然としたのは、遺体安置所には同じような住所不定(ほとんどホームレスだが)の棺桶が数十体あり、安置所の責任者が「今日は少ないほうですよ」としらっと言い切ったことだった。
 私は叔父の始末で、山形の叔父の兄と一緒に葬式や生前の関係諸手続きなどで横浜中区の各事務所等を巡るのを手伝った。そんな中、福祉施設での事務手続きのためそこに入ると、異様などんよりとした<空気>が漂よい、周囲がスーッと落ち込んで沈みゆくような気配を体に感じるのだった。そして、そこには饐(ス)えた匂いが部屋に充満し、内向きの、力のない<氣>が部屋全体を覆っていた。まさに自分の<氣>が吸い取られていくような危うさを感じたのだが、叔父も同じように感じた様子で私を見て苦笑していた。私たちはすぐにその部屋を出たのだが、個人のマイナスの<氣>が集積した<澱>のような空気を肌で感じた体験であった。
 マイナス<氣>が集中している場所は、確かに都市に多くある。あいりん地区と言われている東京の山谷(プラスの<氣>を持った若いバックパッカーが町を変えつつあり、空気感も変わってきた)や横浜寿町、兵庫の西成地区等がその代表だが…。
 私は常に思うのだがこのマイナスの<氣>やプラスの<氣>は、万物すべてがその場の時空間で発する<気質の澱>のようにも思われるのだが、その<氣>が何故プラスやマイナスのベクトルを持ち発散し、それ自体は消えるのに、その<氣>だけは残り、その場で生き延びているのか?ひどいものは数十年数百年たっても、その<氣>が抜けず、後世にもその滓を残しているのである。
 <氣>はひょっとすると、この宇宙(天)が作り出した、いや宇宙(天)そのものを作り出した根源的な<何か >(<氣>一元論)なのかもしれないと思う時があるのである。
 回りくどくなりすぎた。ボヤボヤしないで、早く<氣>の探究の旅に出よう。

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juro

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